子猫が生まれる! うちの猫が産む! 初めての出来事に慌てふためく家族たち。そして、ついにその時が――
どうもうちの飼い猫が妊娠しているらしいと気がついたのは、ある冬の夜だったように記憶しています。
家族で集まってテレビを見ていた時でした。飼い猫――名前を『ネコ』といいます――が、六つある乳首の周りの毛をむしり取っていたのを、父が目ざとく発見したんですね。
父は少年時代、猫だけでなく犬やニワトリやウズラやいろんな小鳥や、その他様々なペットを飼ってきたという経歴があります。さすがにこういったことに気づくのは早いです。
「前に、三日くらい帰ってこなかった事があったやろう。その時から怪しいと思いよった」
と、父は得意げに言います。
そういえば、最近ネコがえらく太ってきたなとは、千歳も思っていました。その少し前まではよく食べたものを吐き出していたりもしてたんで、考えてみれば妊娠の兆候はものすごくはっきりとあったといえます。だいたい、外出が許可されるようになってからというもの、ネコは雨の日以外は毎日どこかにお出かけしていました。確かにどこでなにがあってもおかしくはありません。
しかしまさか外に出かけたネコが妊婦になって帰ってくるなんて、千歳にとってその事実は完全に想像の外でした。
ガーン!
まさに、突然娘に妊娠を告げられたパパの心境です。
うちの娘に限って。というやつですね。
「いったいどこの馬の骨だ!」
千歳は憤ります。人様の娘を勝手に妊娠させておいて、これまで挨拶にも来たことがないとは、どう考えてもろくな男ではありません。
「馬の骨というか、猫やけどね」
弟の冷静なつっこみもこの際無視です。
「俺は認めん。認めんぞ!」
しかし、認める認めない以前に男が現れないのでは、もう、どうしようもありません。
ネコも生む気まんまんだし、結局家族に出来るのは出産に出来る限り協力する事だけでした。
しかし、濱田家でペットの二世が誕生するなどということは、これまで起きたことがありませんでした。ふってわいた大イベントに、濱田家は慌てふためきます。協力といっても、なにを協力すればいいのやら……
「だいじょうぶ。ほっといたら勝手に産むって」
とは父の言うことです。そう、濱田家の中で、ただ一人父だけは全く動じていませんでした。
実はこの頃、父は裏庭で、ニワトリを数匹飼っていました。最近そのニワトリの一匹がイタチに襲われて重症を負ったということで、どっちかというとそっちの方にピリピリしているようです。
「小屋の下に穴を掘って侵入したがよ。やつは俺のニワトリを食うつもりや」
……オス猫とイタチとでは「食べる」の意味がまったく違っているようです。
父はたぶん今までペットの出産は何度も経験してきて慣れっこなんだろうし、確かに父の大事にしているニワトリがイタチに食われそうになって重症では、ネコの出産にかまってられる心境じゃないのというのも分からないでもありません。
というわけで、今後ネコの出産に関しては、父を除いた家族の間で話し合われることになりました。
「やっぱり寝床が必要やろう」
というのは、誰が言うでもなく自然と行き着いた結論でした。出産する場所というのは、そのまま子猫を育てる場所にもなるだろうし、大変重要といえます。そこで、出産用の寝床を用意することになりました。
ちょうど良い感じのダンボールをどっかからか用意してきて、古いタオルとか、毛布とかで寝床を作ります。うん、いい感じです。
「けど、ネコはこの寝床使ってくれるかな」
弟が不安を口にします。
確かにせっかく寝床を作っても、とうのネコがそれを利用しなかったら意味がありません。
千歳に妙案が浮かびました。
「……昔、ネコにトイレの場所を教えるときに、何回もトイレまでネコを連れて行って、そこで繰り返し用を足させて、それでようやくトイレを覚えこました事があったやろう」
「うん、あったねえ。けっこうすぐ覚えたよね」
「今回もその手でいこう」
というわけで、濱田家の人間はそれからというものネコを見かけるたびに、新しく作った寝床にネコを無理やり寝かしつけるようになりました。
しかし、もともと猫は気ままな動物ですので、強引に寝かしつけてもすぐにどっかに行ってしまいます。
「だめか……」
千歳の作戦はあえなく失敗に終ったようです。
「ネコが積極的に使おうとしないとダメなんじゃない? 強引に寝かそうとしても、なかなか寝んやろ」
弟の意見も最もです。
「……うーん、じゃあちょっと工夫して……うん、これならいけるやろう」
次の妙案を、千歳は実行に移しました。
それはネコの餌を、寝床に持ってくるという方法でした。これでネコは餌目当てに寝床に必ずやってくるはずです。
「にゃー」
ほらほら、やってきましたよ。
ムシャムシャ。
食べてる食べてる。
「にゃー」
あれ? 餌を食べると、ネコはまたどっかに行ってしまいました。どうやらネコは、出産用に作った寝床を、新しい食事場所と認識してしまったようです。確かに、満腹になってしまえば食事場所に用はありません。用があるのはお腹がすいたときだけです。
「だめか、だめなのか……?」
認めたくはありませんが、千歳の作戦は今回も失敗のようでした。
「やっぱり、新しい寝床が出産にちょうどいいって、ネコが納得せんといかんがじゃない?」
弟の意見も最もです。
「うーん、じゃあ場所を変えてみるか」
もともと猫は、生まれてくる子猫を外的から守るために、出産の場所や、子猫を育てる場所には非常に気を使います。当然ひとけのない、静かな場所を好むはずでした。なので家の中でも、あまり人が通らない、静かな場所を考えてみました。
まず、やはり玄関や廊下は問題外です。家に出入りするために必ず通る場所なので、ネコが落ち着けるはずがありません。同じ理由で個人の部屋もダメです。台所もうるさいし、リビングも人が集まる場所なのでダメです。……なんか色々考えていくうちに、この狭い家は、ネコが子猫を生んで育てるにはあまり向かない家なんだなということがだんだんと見えてきました。
となると、ひょっとしてネコが外で子供を産むという可能性も出てきます。うーん、そうなるとせっかく生まれた子猫が見られなくなってしまうので、千歳としては非常に不本意です。それに、確かに絶えず誰かいるようなこの家は騒がしくて、ネコが出産には向かないと判断しても仕方がないかもしれませんが、子猫たちにとって、一番安全な場所は間違いなくこの濱田家だと、千歳は断言できます。もうすでに子猫の離乳食も買ってあります。出産したてで食欲に影響が出ているだろうネコのために、産後の猫に優しい食べ物も用意しました。ネコの初めての出産に少しでも助けになるよう、あらゆる手をつくし、今もなにが必要かを模索し続けています。
結局、家族で相談したうえで、リビングルームの家具の配置を変えて、ネコの部屋を作ることになりました。冬なので温度が急激に変化しないよう、窓から離れた壁際に寝床を設置し、そこをあまり人目につかないように家具などで隠して、ネコが落ち着いて子育てができる環境作りに心をくだきます。
それでようやく完成した新しい寝床には、ネコもついに満足してくれたようでした。ネコが新しい寝床で丸くなっているのを、良く見かけるようになりました。よかったよかった。
「もうすぐおまえもママになるんやなあ」
寝床で丸くなっているネコの頭を撫でながら、ふと千歳は昔を思い返していました。
ある日、母が子猫を連れて帰ってきました。目がパッチリしていて、白い毛並みに青みがかった銀色の縞模様の、とても可愛い子猫でした。『ネコ』と名づけられたこの子猫はすごく人懐っこくて、食べ物をねだったり、「遊んで」と催促するのが得意でした。
千歳が家に帰ってくるといつもどこからか走ってきて、玄関にちょこんと座って千歳を出迎えてくれました。
――なんて不思議なんだろう。あのちっちゃな子猫が、もうすぐ親になろうとしています。
「安心して産めよー」
おまえの子供はうちの家族だから。みんなから祝福されて生まれてくるからね。
それからまた何日も過ぎました。ネコのお腹も随分大きくなって、出産が近いことを感じさせます。そんなある夜のことです。千歳が生涯忘れられないであろう、あの事件が起こったのは。
それは寒い日の夜のことでした。千歳は、いつものように自分の部屋で眠りについていました。
夜中に、なぜか千歳は目を覚ましました。千歳が夜に目を覚ますときは、たいていトイレをもよおしたときなのですが、特にそんな様子もありません。なので、千歳はまたうとうとと、再び眠りの中に身をおこうとしていました。そのときです。
どこからか、猫の鳴き声が聞こえてくるような気がしました。それはとてもか細い、か弱い鳴き声でした。
(ネコが鳴いてる……? こんな夜中になんやろう。ひょっとして家に入れんのかな?)
ネコはいつも階段の踊り場にある窓から家に出入りします。その窓を閉めてしまって、ネコが出入りできなくなっている事が、今までも何度かありました。
(……だったら開けてやらんと。外は寒いし……)
しかし、基本的に千歳は非常に寝起きが悪いです。起き抜けは、そう簡単に体が動いてくれません。それに、なんだかその日は、なんとなく体がいつもより重たく感じました。
そんな感じで千歳がもたもたしている間に、また猫の鳴き声が聞こえます。
あれ? この泣き声、案外近くないか?
(……なんだ、俺の部屋にいるのか)
いえ、千歳の部屋というよりは、むしろ千歳の上から聞こえてくるようです。
(……おれの布団の上、ていうか腹の上……?)
布団をはさんだ千歳のお腹の上辺りで、どうやらネコが鳴いているようです。しかし、その声はネコにしては幼いように感じました。「にゃー」というよりは、「みー」と聞こえます。それも一つではなく、明らかに複数――
「みー、みー、みー」
え、え、えええ???
とんでもない可能性に、千歳はパッチリと目を覚ましました。跳ね起きようとして寸前で思い直し、首だけ動かして自分のお腹の辺りをそろそろと確認します。お腹の上にはネコがいました。暗闇の中で、二つの目が光っています。
「みー、みー、みー」
目を凝らして、やっと千歳は鳴き声の正体を視認しました。赤ちゃん猫が三匹、寝そべってこっちを向いているネコのお腹の辺りでもぞもぞしています。
「……お前、ここで、産んだのか……?!」
なんと信じられないことに、ネコは千歳の部屋――それも布団と毛布のみを隔てた、千歳のお腹の真上あたりで出産していたのでした!
「にゃー」
ネコが千歳を見て鳴きました。なんとなく、その声に誇らしげなものを感じたのは、千歳の気のせいでしょうか。
たたた、大変だあ!
千歳はそろりそろりと、布団から抜け出し、隣の部屋で熟睡している母をためらうことなく叩き起こしました。
「お、おかあさん! ネコが子供産んだ!」
母は飛び起きます。
「ええ、どこよ!?」
「俺の腹の上!」
「――はあ?」
母を千歳の部屋までつれてくると、もう一目瞭然です。薄い明かりをつけた部屋の、千歳の布団の上で、ネコと三匹の赤ちゃんネコが、とても幸せな情景を作り出しています。
「――まあ驚いた!」
俺はもっと驚いたよ。
とりあえずその日の夜は、千歳はもう一つ布団をひいて、その布団で寝ることになりました。もとの千歳の布団はネコが子供産んでるし、それがなくても血だらけで、さすがにそこで寝る気にはなれません。冬じゃなかったら――つまりもっと布団が薄かったら、千歳も血だらけになっていたのは確実でした。
朝起きてみると、赤ちゃんネコの数は四匹に増えていました。そして千歳が夕方帰宅すると、なんと五匹に増えていました。
「少し前に五匹目が生まれたよ。たぶんもう終わりやと思うけど、最後の一匹は時間かかったねえ」
と、母が言いました。出産ってけっこう時間がかかるもんなんだと、このとき始めて千歳は知りました。もっと続けざまに生まれてくるもんだと、そのときまでは漠然と考えていたのです。
ネコは、今は家族で苦心して作った、新しい寝床に身を横たえています。母が運んだんだそうです。ネコのお腹のあたりで、もぞもぞと誕生したばかりの生命たちが息づいています。
千歳は時間が経つのも忘れて、ネコと新しい生命に見入りました。
「……あれ? この一匹元気ないね。寝てるがかな?」
千歳は一匹の赤ちゃん猫を指差しました。それは白一色の毛並みの赤ちゃん猫でした。他の赤ちゃん猫たちが一生懸命、親猫のおっぱいを吸っているのに、この赤ちゃん猫だけぐったりとしてあまり動きません。
「その子が一番最後に生まれたがよ。けど元気がないがよねえ。やっぱり、お腹に居る時間が長すぎたろうか」
「乳は吸うたが?」
千歳の問いに母は首を振ります。
生まれたばかりの赤ちゃんネコが、おっぱいも吸わずぐったりとしていれば、もうその先は分かりきっています。
千歳はその赤ちゃん猫を手に持ちました。手に持った赤ちゃん猫に、ネコの乳房の一つをあてがいます。けれど、手の中の赤ちゃん猫はおっぱいを吸おうとはしません。
「ほら、吸えよ。吸わんと死ぬぞ」
千歳は赤ちゃん猫の閉じられた口に、無理やり乳房を詰め込もうとしました。しかしうまく入りません。千歳は他の、一心不乱に別の乳房を吸っている赤ちゃん猫の一匹を、無理やりその乳房から引き離しました。
「みー」
ごめんよ。けどお前はもうけっこう飲んだろう?
ちょっと、この兄弟にも分けてあげてくれ。
今まで吸われていた乳房は大きく腫れ上がっていて、さっきの乳房よりはずいぶん吸いやすそうでした。その乳房に、ぐったりした赤ちゃん猫の口を押し付けます。
さっき引き離した赤ちゃん猫は、母が別の乳房に誘導してあげていました。目もまだ開いていない赤ちゃん猫は、自力で乳房を見つけるのことが、とても大変なのです。
「ほら、ここにおっぱいがあるぞ。がんばって吸わないかん」
けれど乳を飲もうとしない赤ちゃん猫に、今度はぬれたティッシュを持ってきて、その口元を濡らしてみました。それが刺激になればと思ったのです。
「みー」
手の中の赤ちゃん猫が、弱々しく鳴きました。
この子は生きている。そう千歳は実感しました。
だったら、生きている間は、がんばって生きようとしなければなりません。また千歳は赤ちゃん猫の口を、吸いやすそうな乳房に押し付けました。ほら、がんばれ!
「みー」
30分くらいはそんなことをしていたでしょうか。赤ちゃん猫が、またか弱い鳴き声をあげました。
すかさず、うっすらと開いた口に、乳房を滑り込ませます。すると、赤ちゃん猫がゆっくりと乳を吸い始めたではありませんか! 最初はそれでも弱々しかった乳を吸う口元の動きは、次第にしっかりとしたものになっていきました。しばらくもすると、その赤ちゃん猫は、他の赤ちゃん猫と変わらないくらいしっかりと乳を吸うようになりました。
よかった。
きっと、もうだいじょうぶ。
目も見えず、大きさも母猫の前足くらいしかない、まったくなにも出来そうにない赤ちゃん猫は、それでもただ庇護されて生きているだけではないのです。母親のぬくもりだけを頼りに、手探りで乳房を見つけ出し、こうして力いっぱい乳を吸わなければなりません。
「がんばれよ」
その言葉は、そのまま自分自身に帰ってくるようでした。
「けどネコも、よっぽど淋しがり屋の猫やねえ」
母が言いました。
「やっぱりはじめてのお産やし、心細かったんやろう。だからあんたのお腹の上で産んだんやね」
「……なるほど」
ネコにとって一番安心できる場所は、どうやら外でも、今寝そべっているこの寝床でも、ひとけのないどこかでもなく、千歳のお腹の上だったようです。それは千歳にとっては、なんだかとても嬉しい、誇らしくさえ感じる事実でした。
「よくがんばったなあ」
千歳はそう言って、ネコの頭を撫でてあげました。ネコは目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしています。
ネコって嬉しいときは、喉をゴロゴロ鳴らすっていうのはご存知でしょうか。この時、ネコは千歳に頭を撫でられたから喉を鳴らしているのではありませんでした。だって赤ちゃん猫におっぱいをあげている間中、ネコはずっとゴロゴロと喉を鳴らしていましたから。
「元気に育てよー」
そして幸せに生きてほしい。
猫って生まれても、人間よりずっと早く死んでしまうけど――それは確かにとても悲しいことだけど、悪いことばかりではないと千歳は思います。だって、人より早く死ぬのなら、猫の幸せな一生を、飼い主は最後まで見届けることが出来るでしょう?
「この猫は幸せに生きたよ」そう言えるのだったら、それは確かに猫の主人にとっても幸せなことだと、千歳には思えるのです。
この日生まれた猫たちは、その後猫好きの家に貰われていったり、成猫になってから自分のナワバリを求めて家出したりと、結局濱田家に最後まで残った猫は一匹もいませんでした。けれど、きっとどこかで新たな飼い主に幸せを与えていると、千歳は思うようにしています。濱田家で生まれた猫は人懐っこくて、人を幸せにするのがとても得意な猫ばかりですから。
うちのネコがそうであったように。

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