愛することは、失うことに繋がるのだと。
おじいちゃんは酒飲みで、いつも酒ばかり飲んでいました。
孫の私がたまにおじいちゃん家に泊まりに行ったりすると、きまって釣ったか買ったかした魚を焼いて、日本酒を飲みながら戦時中の話をします。
おじいちゃんの青年時代は、ちょうど二回目の世界大戦があった頃でした。
米兵を2人殺したとか、味噌汁の味噌のかわりにうんこを入れてうんこ汁を食ったとか、酔っ払いながら戦争中の話を自慢を交えつつするのですが、なにぶん酔っ払いなので真偽の程は定かではありません。
とにかく気持ちよさそうにいつもの自慢話を一通り語ります。そしてそれが終わると、締めくくりとばかりにどっかで買ってきた、刃のない日本刀の登場です。
日本刀を振り回しながら、ろれつの回らない調子で歌を歌います。ちなみに私はこの日本刀で小指を突き刺されたことがあります。あれは痛かったなあ。
酔った次の日は、夕べは6合飲んだとか、1升飲んだとか、自分の飲みッぷりを孫に聞かせます。まあ、程度の差こそありますが、高知の昔ながらの家庭はみんなそんなもんですよ。
おじいちゃんは亭主関白でもありました。いつもおばあちゃんを怒鳴りつけてました。おばあちゃんはなにもいわずおじいちゃんの言うことを聞いてました。
一度だけ、おじいちゃんがおばあちゃんとの馴れ初めを懐かしそうに語ったことがあります。
おじいちゃんはビッグマウスで、今より昔の女子の方が綺麗だったといつも言ってましたが、道を歩くとそこら中に町一番の美女が歩いていたとも言ってました。町一番の美女が町のそこらじゅうにいたという理屈は私には良く分かりませんでしたが、おじいちゃんが気持ちよさそうに話していたので、幼いながらに気を使って私は何も言わず、自分よりさらに幼い弟と、じっとしておじいちゃんを見上げて話を聞くのでした。
そんな、町中に町一番の美女が溢れていた頃――おじいちゃんが若かりしある日、おじいちゃんは町でおばあちゃんを見かけたそうです。
「高知県一番の美人じゃった――」
懐かしそうに語ります。私は思わずおばあちゃんに目をやりました。その頃、おばあちゃんはすでにちょっとボケ初めていましたが、そんなおばあちゃんがそのときは少し笑っているように見えました。
おばあちゃんを見たおじいちゃんは一目ぼれしたそうです。遠く離れたおばあちゃんの実家まで単身押しかけ、まだほとんど面識のなかったおばあちゃんの、初めて会うお父さんに言いました。
「幸子さんをください!」
あまりに突然の申し出です。ひいおじいちゃんの家はかなり仰天したことでしょう。その時おばあちゃんは、おじいちゃんが言うには笑ってたとのことです。笑うしかなかったというところでしょうか。
その後どういう展開になったのか詳しくは聞いていませんが、最終的におじいちゃんとおばあちゃんは本当に結婚したのでした。ひいおじいちゃんの家はけっこう裕福な家だったので、おばあちゃんはいいとこのお嬢様だったということになります。おじいちゃんは農家の6人兄弟の長男でしたが、土地なんか猫の額くらいしかない貧乏農家でした。よくそんなカップルが(しかも片方の意思は関係なしに)成立したものでした。
まあ、そんな無理が通ったのは、時代背景もあったのかもしれません。当時は第二次世界大戦が始まって、男が戦争に借り出されて数が減り、年頃の娘がいる家は、慌てて旦那を探して嫁に出すという現象が起きていたようです。
結婚してまもなく、おじいちゃんにも赤紙が届きます。おじいちゃんは愛する妻をおいて、殺し合いの中に飛び込んでいったのでした。
ある日、おじいちゃんが瀬戸内海で、2人乗りの大きな爆弾を積むスペースのある小型潜水ボートで敵船に突っ込む練習をしていた頃、戦争が終わったそうです。
戦争は負けましたが、おじいちゃんは生きて妻のもとに帰ることが出来ました。そうして小さな土地を兄弟と分け合い、自分の土地に一年掛けて、自分一人で(おじいちゃん談)家を建てました。
それから数年後、長男が生まれます。それが私のお父さんです。名前は幸一とつけられました。おじいちゃんの名前は進、おばあちゃんの名前は幸子といいましたから、おばあちゃんの名前から一字取ったことになります。名付け親が誰だったのかは知りませんが、幸一と名づけられた長男はすくすくと育ち、運良くハンサムボーイになってギターをかき鳴らし、いい感じにモテながらやがて27歳の時に19歳の嫁さんをもらいます。結婚したら旦那が実はハゲだったと知って、母は少なからず驚いたとのことですがそれはまた別の物語。
それからおじいちゃんは、実の父が死んで、実の母が死んで、兄弟が死んで、会った事さえなかった孫の死を後になって知らされたりしながら、やがて自身も脳溢血で死んでしまいました。こりゃ酒の飲みすぎだなと私は思いましたが、みんなも等しく思ったようでした。お墓にはお酒をお供えしてあげました。
お葬式はキリスト式で、「記念会」というものを行いました。ひいおばあちゃんが敬虔なクリスチャンで、おじいちゃんは敬虔というほどのクリスチャンではありませんでしたが、ひいおばあちゃんと同じキリスト式のお葬式にして欲しいと、生前に言っていたとのことでした。「記念会」ではみんなで歌を歌いました。
♪いつくしみ深き 友なるイエスは、
かわらぬ愛もて みちびきたもう。
こころの嘆きを 包まずのべて、
などかは下さぬ、負える重荷を――
おばあちゃんはその頃にはすっかりボケていて、おじいちゃんが死んだことを知っているのかさえ、私には窺い知れませんでした。みんなが歌を歌っている時は、なにやらブツブツと呟いていました。そのときだけでなく、この頃には、おばあちゃんは年がら年中なにか呟いていたのですけれど。
けど、お墓では一番最後まで祈っていました。父がおばあちゃんの肩に手を置いて、帰ろうと言って、それでやっとおばあちゃんはお祈りするのをやめました。
おじいちゃんは酒飲みで、乱暴で、調子こきですぐ大口をたたき、あんまり学がなく、さびしがり屋でした。
二人暮しのおばあちゃんをいつも汚い言葉で怒鳴りつけ、たぶん時には暴力とかふるっていました。
けど、おばあちゃんがボケても、絶対に病院に入れようとはしませんでした。おばあちゃんが近所に迷惑を掛けて、どんなに周りが病院送りを進めても、おじいちゃんはひとりぼっちには絶対なろうとしませんでした。年金と少しの労働で、自分とおばあちゃんと飼い犬と飼い猫が暮らしていけるだけの生活費と、お酒代をまかないました。やがて炊事洗濯も、半分以上おじいちゃんがするようになりました。
飼い犬が死んだら「いい犬じゃった」と言いました。やがて捨て犬になつかれると、今度はその犬を拾って飼いました。犬は人間よりずっと短命なので、その犬もやがて死にます。けれどまた、いつの間にか野良犬を飼い始めるのでした。犬が死んだらかならず「いい犬じゃった」と、近所のみんなや息子や孫に言いました。一度誰かに捨てられた犬は、けれどおじいちゃんのもとではいつだって最高の犬でした。
猫は一匹だけ飼いました。黒猫でした。
その黒猫は元は野良猫で、また母猫でもありました。子猫は白と黒のまだらもようで、片肢が不自由でした。黒猫は人懐っこかったですが、片肢の不自由な子猫は人嫌いで、いつも母猫のそばを離れませんでした。人嫌いというより、人を憎んでいるという感じで、誰かが近づこうとすると、「フー!」と唸って威嚇します。ひょっとしたら、不自由な片肢に関係があるのかも知れませんでした。親子は本当に仲が良くて、よく二匹で日向ぼっこしてるのを見かけました。
やがていつの間にか、子猫は行方しれずになり、黒猫はおじいちゃんの家に住みつきました。黒猫は十年くらいおじいちゃん家の家族になり、ある日二階で、日向ぼっこするように死んでいました。日が暮れるまで、おじいちゃんは黒猫をそのままにしておきました。それから死体を家の近くに流れる川に放り込んで、しゃがみこみ、流れていく黒猫に少しの間お祈りしました。
「……いい猫じゃった」
黒猫が死んでからは、おじいちゃんはもう犬も猫も飼わなくなりました。
おじいちゃんは、たぶん愛することが好きな人でした。
最近になって、ようやく私にも分かってきたことがあります。愛することは、失うことに繋がるのだと。おじいちゃんは、たくさんのものを愛し、そしてその分、生涯できっとたくさんの愛するものを失いながら生きたのでしょう。
だけど、そうですね。おじいちゃんは、人生を共に生きた伴侶の死に目にはあわなくてすみました。
だったら上々の人生だったのではないかと私は思っていますが、当の本人はどう思っているのか。
それはもう、神様にしかわかりません。

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