さよなら、夏の体温

夏の暑さを克服する手段。

さよなら、夏の体温 - 記憶の欠片

2005/08/25UP

 暑い。
 今年も相変わらず夏は暑くて、最高気温がヒトの体温にまで達する日も何回かあったらしい。
 女の子が薄着なのはありがたいけどさ。いい加減夏が終わってくれないと、俺にはもう耐えられそうにないよ。
 俺の妹も、最近は良く俺を見て「大丈夫?」と心配してくれている。とても具合が悪そうな顔をしているのだという。大丈夫だよ。俺は妹を安心させるために笑ってみせるが、実際体調の悪さはかなり深刻だ。このままだと、あまりの暑さに幻覚とか見てしまいそうなくらいだ。え? 幻覚はオーバーだって? いや、そんなことはないさ。だって、そもそも俺に妹なんていないんだから。
 とにかく本当に、これはかなり深刻かもしれない。暑さが俺の脳みそを溶かしてしまわないうちに何とかした方がいい。つまり暑さ対策だ。

 そんなわけで俺は具体的な暑さ対策をとることにしたんだけど、やれることはもうそんなになかった。
 なぜって、いくつかの暑さ対策はすでにやってしまっているからだ。食事にも普段から気をつかってるし、規則正しい生活も常に心がけている。一般的に知られている暑さ対策は、もうほとんど実行しちゃってたのさ。
 こうなったら今までにない、画期的で、独自の暑さ対策を行うしかないと俺は考えた。もう多少強引な手段でもかまわないから、とにかく暑さから逃れたい。そんなことを考えていた俺は、日本が古くから継承している精神文化に目をつけた。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

 先人は、格言という形で、俺たちに偉大な教えを残してくれている。
 これなんて、日本の暑さ対策の歴史を象徴するような言葉じゃないか。夏の暑さを「火」なんて表現しちゃってるところが多少大げさな嫌いはあるが、昔の人もみんな苦労してたんだなあと思うとちょっと微笑ましいくらいだ。
 実際昔はクーラーなんて便利なものはない。暑いときは、心頭滅却することにより暑さ対策していたんだろう。俺たちもこの際、この先人の教えに従ってみたらどうだろうか?
 さっそく俺は心頭滅却しようとした。むむむ……!
 が、非常に残念なことに、心頭滅却の方法がわからなかった。やはり昔の人は、俺とはメンタル面の鍛え方が違うのか。この暑いさなか心頭滅却できるなんて凄い!

 早々と心頭滅却を諦めた俺は、もっと俺でもやれそうな方法はないかと考えた。様々な方法を思いつき、その中でもっとも有効な方法を実際に試してみることにする。残暑は厳しいざんしょ。アツはナツい。……寒いギャグを言ったら俺の周囲の気温も下がるのではないかと思ったのだが、寒くなるのは俺の周囲だけで、むしろ俺自身は恥ずかしさのあまり顔がほてってきた。これじゃ逆効果だよ。

 そんな感じで俺が悩んでいることなどお構いなしに、相変わらず気温が体温に達する日々は続いている。言わば常に人とくっついてるようなもので、もうかなりうっとおしい。
 そう思っていたとき、俺は気がついた。
 暑いからといって、なにも体温を否定する必要はないんじゃないか?
 人は、孤独を嫌い、ぬくもりを欲するものだ。たとえばこの、体温と同じ温度の空気をいとしいあの娘のぬくもりだと思うことができたら、ひょっとしたら超幸せなんじゃないだろうか?

 早速俺はその方法を試してみた。ありがたいことに、暑さで脳みそがぐにゃぐにゃに柔らかくなっていた俺にとって、体温と同じ温度の空気をいとしいあの娘のぬくもりだとイメージすることはそれほど難しくなかった。まったく「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので、世の中なにが幸いするかわからない。先人の教えの偉大さに、俺はもはや感動すら覚えたね。

 こうして、いとしいあの娘のぬくもりと一緒にいられるようになった俺は、夏を超幸せな気分で過ごした。次第に俺のイメージ力もかなり鍛えられてきたようで、最近ではあの娘のぬくもりどころかあの娘の声まで聞こえてくるようになったのさ。これだけ脳みそが鍛えられれば、もう妹の幻覚に悩まされることもないだろう。クソ暑かった夏が、まさか気の持ちよう一つでここまで幸せなものになるとは。夏万歳! ビバサマー!

 けどね、季節は巡るんだよな。ぐるぐるとね。
 やっぱり幻想は、現実には決してかなわない。そう、俺は気がつかないわけにはいかなかったんだ。
 夏が終る。

 もうすぐ夏は終わってしまう。
 気温が体温に達することはなくなり、そしていとしいあの娘のぬくもりを感じることはもう、出来なってしまうだろう。
 いや、わかってるんだよ、本当は。
 いくら俺が思い込みが激しい性格だとしても、どれだけ夏の暑さで俺の脳みそがぐにゅぐにゅになってるとしても、物事には限度がある。夏の暑さにかこつけて、どれだけ俺がそう思い込もうとしたところでさすがに無理があるよね。
 わかってる。本当はわかってるんだ。実際にはあの娘は俺のそばにはいないんだって。
 だって今頃は、別の誰かと幸せに暮らしているはずだからさ。

 やがてくる秋は、それを俺に思い出させようとしてくれるだろう。
 しかし、本当はその必要もない。そんなこと、とっくに思い知ってるんだから、俺は。

 というわけで俺の、夏の暑さをいとしいあの娘のぬくもりと思い込む作戦は、どうやら最終的には失敗に終わりそうだよ。
 やっぱり夏は、暑いままにしておくべきだと思う。それが俺の結論。物事は、あるがままに受け入れたほうがいい。
 けれどね、人はそんな簡単なことさえ時に忘れてしまうから、だからきっとまたこうして、繰り返し悲しい気持ちを味わってしまうんだ。
 繰り返し繰り返し。季節が巡るように。
 彼女との記憶は、あとどれくらい俺の中を巡るんだろう。

 仕事の帰り。炎天下の中にふっと涼しい風を一つ感じて、俺は立ち止まる。空気を抱きしめるように両腕を引き寄せ、さよならと言った。

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Posted by 千歳 at 2005年08月25日 23:21 EDIT
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